昨日、駒ケ根の警察行って住所変更届したかえり、
中川村の図書館よって、”伊那平の地質と歴史をしりたい”と
司書の方に相談する。
図書館自体は小さいのだけど選んでもらった本を仕分けしていくうちに
だんだん専門的な本を出してきてくれました。
さすが ”郷土史の長野県” を誇るだけあって
膨大な長野県史の書籍棚まで案内してもらいました。
500ページちかい中川村誌 上、中巻だけ借りてきました。
平成18年発行、カラーグラビア,ケント紙仕様です。
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やはりそこらじゅうの山、花崗岩だらけ。
ながい間に風化して真砂土になってるところが多い。
伊那谷の河岸段丘は天竜川の浸食でできたと昔の教科書では教えていたけど
木曽山脈、伊那山地、赤石山脈の盛り上がり,隆起でそうなった。
日本列島では一番もちあがってるらしい、0,3~0,4mm/年 x何億年?
自分の住んでる針の平が伊那平で最高の隆起!
もちろん構造線を挟んだプレートの沈み込みと持ち上がりの
プレートテクトニクスなんだけどなぜプレートが動くのかの説明はない。
ここ10~20年でプルームテクトニクスが確立されているけど郷土史には
まだ出てこない。
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石器、縄文土器、遺物、遺跡多数発掘されてるけど小規模。
人口が少なかったんでしょう。
天竜川と木曽川、舟運と中馬(馬による輸送)の歴史が秀逸でした。
古墳時代中期に突如として馬の牧場ができて馬の生産地になっていきます。
宿駅、街道がにぎやかになっていきます。
諏訪湖から舟運を開こうとするも天竜川の水を農耕に使うための堰を壊したら
農業、中馬が成り立たない。扇状地、台地で放牧する馬の大生産地だから
舟底の浅いさっぱぶねを使ったりしても立ち消えになってしまいます。
木材は製材、大径木を小さく割って日を決めて諏訪湖から磐田の港まで
一斉に流し、それを管流しといったそうです。
木曽川のように筏や舟の運送はできず、馬(農耕馬、駄馬)が明治まで活躍、独占したようです。
本街道としての中山道は公の道で、脇街道の三遠南信の天竜川沿いは商用民間。
大名や皇室の行列となると千~万人の行列で天竜川沿いの人間たちが石高で割り振られ
徴用されてます。村長たちの負担は大きかったことでしょう。
いまでこそ広い153国道ですが昔は馬がすれ違うのさえむつかしいぐらい狭かったろうね。
古墳時代中期、馬を持ち込んだのはだれか何にも書いてない。中山道群馬には多胡羊太夫。
名古屋、岐阜から遊牧民系の同化ユダヤ人が馬(軍馬の必要から)を持ち込んだことでしょう。
馬がいれば養蚕、絹糸の生産も群馬同様広がったことでしょう。
自然災害では広い平野や盆地が海のように浸かる被害ではなくて
急斜度の山、渓谷から土石流が崩落し、天竜川に集まる支流の水が川沿いの田畑住居を
打ち壊す激しいものだそうです。
北アルプスの稗田山の山体崩落による姫川の堰止め洪水や、宮崎の高千穂峡の
鉄橋、駅舎ごと流失、鉄道廃線みたいに山間部の洪水、山津波は想像つきにくいです。
自然環境の厳しいところだから、穏やかな美しい日常のメリハリがあるともいえますね。
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ほんとはゴミ出しパンフレット読んでゴミ出しだったのですが
ついつい、興味のないとこは飛ばして2冊とも読んでしまいました。
昼過ぎPC電源入れたら 異常―!画面が出ない―!
すぐマウスに電話、対応済ませるも5年ぐらいでdisplayに線が入ってきてる。
寿命近いかも。外付けHDにバックアップしておこう。
ふーうっ。