風土にあわせて大胆、繊細にものを形作っていく。
中世、古代の仏師たちとはちがうけど自然を敬うのはかわらない。
一緒に働くどの国の職人たちもそれに気づいてる。
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フネをつくるために木を曲げたり、釘を使わない接着はやったけど今はいろいろやりかたが
ふえてるようです。
セーリングカヌー作ってるとき一番先に
スプルースがシロアリにくわれちゃうし
木への愛着なんてほとんどない。
あるとしたら現図を引くために使ったバテン(3mぐらい)が青森ヒバの正目で
ナチュラルカーブを描くのに素直で使いやすかった。
中空のマストを作ったときはカナダのスプルース、削りやすかった。
そんな程度。
南伊豆の木工家には倒れた木の瘤や杢、娘のために植えた桐が不要になったから
伐って捨てられたのなんかをすぐ連絡してあげて喜ばれてた。
むしろ自分で驚いたのは桐箱に入った大正時代の下田芸者の5分割三味線の棹、
紫檀か何かでつなぎ目が見えないくらい精密。
それともらいものだったけど雪国の農家の衣装箱、茶箱ぐらいに軽かった。
宝島に出てくるようなぶ厚く重ーい金具だらけと大違い。
一茶並みに軽ーい、それだけ粗末だったのかもしれない。
欅の文机もビールケースとコンパネにかわってしまった。
バンクーバー、ラードナーのユダヤ人の家具屋に間借りしてた時、
立って手紙を書くんだろうけど木の車輪が文机ついていて珍しかった。
床が厚い、固い木なのはすぐわかった。
しかしアパート住まいの時は3階建てでも木でつくってあるから、
いくら厚いいカーペット廊下にひいてあっても人が歩くたびに
ギシギシうるさかった。
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まー、椅子の木工なんてなんもわからない。
図面がないしごと、、、非ジョーに困るんだよねー!!