ブログの副題通りになった五島ゆきでした。
雨になる日が多そうでバイクやめたのは正解でしたが
綿引君は三河の友達に会いに行ったばかりで
N153三州街道で豊田抜けて1号線に出て亀山からメッセ―ジ送ってきた。
鈴鹿峠越えて堺方面にでるという?
どうも言うことがおかしいのだけど、あとで分かったのは
かれは行き先を入力してあとはGナビにまかせて途中の道路は
関心ない。
だから今どこと聞いても道の駅見つけるまではどこ走ってるか不明。
夜中大道を走ってる限りそれでいい。
彼はついに眠くなって相生あたりの道の駅でダウン車中泊。
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自分は権兵衛峠こえて木曽中山道へ。
名古屋さけて岐阜、大垣、関ヶ原。
琵琶湖に出て南下して淀川わたってN1がN2になって神戸すぎたのが
夜中前。
綿引君から相生で寝る連絡受けたときはまだN2にはいってなかったろう。
権兵衛峠回って中津川で燃料入れて遠回りしてる。
1~2時間遅れてたかもしれない。
綿引君は ”大阪、神戸抜けてあとは1っ本道だよ”と自分が言ってたことを真に受けて
安心もしてたろう。
合言葉は ”九州に入ったら連絡とりあおう” だった。
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仮眠しながら走り続けた自分は 2時間ぐらい先行し
博多をさけ行ったことのない飯塚 直方の道から久留米経由で佐賀へ
向かった。
結局その夜は鹿島の道の駅で寝ることにしたのだけど
スマフォの入力ミスで白石の道の駅に入ってしまった。
自分の郷里でも50年たったらインフラ道路はまるでかわっていた、
当たり前!!!
分かっているのは東西南北の記憶だけ。
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綿引君はGナビ通り、博多経由で無料になった高速道路をとおって
がら空きの白石道の駅に着いた。やっと合流。
遅れること数10分。
自分は助手席でパッチンコンロ料理。
彼は佐賀まで戻って温泉と外食。
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フェリーに関しては彼に任せてたから
”電話予約のみで9時前は受け付けない” にしたがう。
自分は時間があくから諫早干拓みながら行くことにした。
長崎のフェリー乗り場で集合することにした。
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この時点ですでに反省をしていたのだけど
九州の地図はいらないという判断を後悔してました。
綿引君が相生あたりまで先行し道の駅で車中泊したころ
自分は神戸すぎたあたりから大型長距離トラックがいない?
乗用車だらけ? 信号、横断歩道だらけ。
道路のわきを見れば高層マンション、高層アパートだらけ。
はたと気が付いたのは人口が増えて子供が増えたから
信号,横断歩道が増えた。
トラックがいなくなるの当たり前。
それが岡山 たつの 辺りから逆転して
深夜国道走ってるのは大型長距離トラック99%!!!
それから自分の目が吊り上がりコンビニはいる以外は
戦闘状態。
車の流れは80~100で相性のいいトラック探して
あとについていきました。
あの錆だらけの軽トラがエンジンだけは元気そのもので
片道1500km以上の下道を走っていける。
これで円高、ドル安、ガソリン値下げになったら
日本国中、どんな寒い地方にいても何とかなりそう。
関門トンネル¥160払って九州。
綿引君に送ったメッセージが間違って佐賀の姉に行ってしまい
顔出す気なかったのでまずかったです。
翌日急に予定変更して五島とんぼ返りした夜、
まだ佐賀県内にいたにもかかわらず上峯という道の駅で仮眠しようとしてたら
姉から電話が来て、福江島とんぼ返りの長電話しました。
まー驚いたことでしょう。
有明海 通ったことはあってもいったことがない鹿島町という町。
意外と大きな町だとはじめてしった。
長姉は親同士が友達で”うちにはちきんさい”といわれて嫁に行った。
義兄は長崎大の水産科で有明漁連のノリ養殖の技士。
自分がカナダから帰って柳川 沖の端の舶用ぢーぜるの会社に働いて
泥の付いた格好で帰ってくるのを嫌ったおふくろの意見で
親戚で40年番頭をしている有田焼の茶碗屋へ転職。
カナダの愚兄と付き合った後だからタイムカードを押す
サラリーマンなら何でもよかった。
有明漁連の義兄はノリ養殖の漁師たちと付き合っていたから
朝6時に家を出て有田まで通勤してた自分に
若いときは苦労したがいいといっていた
でも義兄は過労からか早死にされてしまった。
有明海のノリひびをわたす竹を潟海に刺してる漁師。
有明海は広い。朝日が阿蘇の方から上がってきて
雲仙岳の方に沈む。
有田の茶碗屋では丁稚奉公をした最後の世代が同年の白石の農家の息子だった。
道の駅白石で車中泊したときしきりに思い出された。
この写真は諫早干拓を見ようとしたら多良岳を巻くような道ができていて
そのまま高いところからパノラマになった。
岳のしんたろさん という民謡がある。
山頂にある寺のガードをする美男子のサムライで里の娘たちが
ざんざ ざんざ と心ときめかすという座敷歌。
首都高の耐震補強工事で六本木辺りのクラック補修溶接をしてたころ
ノルマを昼前におわし駐車場に向かうと近くのテレビ局の近くに
タレント追っかけの女の子がそこら中に並んで立っていた、
あれとおなじだね。
ここで電池切れ
長崎も佐世保も横須賀も軍港として背景は似てる。
追浜 住友造船所には香焼島、伊王島の漁師上がりの溶接工もいた。
雇われ番頭も三菱造船の出、雇う親方は相生。
将棋のやっさん武蔵美は姫路で山口組が町内会。
播磨灘の同化ユダヤ人が活躍してる、
が主役はつねに縄文先住民、三菱である。
海軍軍人を父に持つ田中英道さんは幼児のころ香焼島でピカドンにあい
おばあさんが体で覆ってくれて助かった。
伊豆の集落にも原爆手帳を持つ下田ドックの溶接工がいた。
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ここらで ブログ休憩です。