2週間 ばかり あおりに煽ってノルマ 目標の1日200束を目指しました。
2人で1日180束ぐらいまで行きました、
あと1日ぐらいで200束は達成できたと思いますが、
村で全国から研修生を各農園が順次 受け入れて行く予定です。
そのためヤンマーのネギ収穫が不定期になってしまいました。
相棒が一通り 運転操作できるようになったので彼だけは残って
年末まで働く予定です。
キリがいいので自分は煽り 仕事はここまでと
シルバーの責任者へ伝えておきました。
****
ハローワークから来た 相棒は自分でも 畑作をしていて
毎回跳ねた良さそうなネギを拾い集めて帰ります。
根を植え直して育てて 農協に出荷 するそうです 。
初めは 素人を使うためのマニュアルがないことに苛立ちましたが
教える側も新しい農機具に慣れていないと言われていたことが
本当だったことが分かりました。
その日シルバーの一緒に働いたのが もと薄物の箱板金屋で
新幹線のこだまの先端部や YS 11 の先端部なども手掛けていた
本物の職人でした。
彼が“もうこんなとこ 2度と来ない“
と言った 直接の原因は分からないのだけど
2人とも腹立って呆れていましたが
従業員の方が伊那地方の純朴で我慢強い 大人しい方だったのでしょう
よくある職人同士のケチな 根性ではなかったのは確かです。
つまり 教えたら自分の仕事がなくなってしまう、というよくある話。
教える側が漠然としかわからないのだから こちらは フルスロットルで
メクラ 運転 よそ見運転の試行錯誤をするしかありませんでした 。
売上を倍にでもしたい 経営者の願望にこたえてフルスロットルでやったため
仕事も荒れたでしょう。
新造船が進水式も終わり試運転の後 待っているのは時化た海での航海です。
それをシェイクダウンと言います。
荒れた海 つまり 現実に上下左右 揉まれて初めて隠れていた 問題が現れます。
自分がやったことはそれだったでしょう。
****
相棒がネギの栽培もやったことが大きな助けになりました。
と言うか 煽りまくった 最後の方で機械の操作ではなく
畑の畝作り 自体がヤンマーのネギ収穫機にあってないところがいっぱいある。
”御嶽山から富士山へ”
畝作りの土寄せが御嶽山の頂上のようになってネギが片側1列だったら
耕運機の先端の刃のようなローターが 畝の肩を削り取っても
その土が後ろに回り 、乗り上げるクローラー(キャタピラー)が機械 全体を傾け
修正できず脱線バリバリ。
対策はアクセル開いてスピードを上げて
ローター、収穫遅れた 育ちすぎの 大きな葉っぱの詰まりを常時監視する。
2束分ぐらいベルトに挟まれて上がってきたら
クラッチを切る。アクセル レバーを戻す。
左側の作業台に向かって 根わけに集中する。
結束 、積み込みんだ 相棒が作業台の横に戻って来て一緒に根わけを手伝う。
それの繰り返し。
しかし畝を作り替えるのが先です。
それこそが いろはのいいです。
作業場への運搬 荷下ろしに2、30分かかる
この時間のロスを埋めるために社長はもう一人 頼もうかと思ってる
と言ってたからそうなるでしょう。
畝の御嶽山から富士山への修正は相棒 によれば簡単な機械ででき
そうすれば相棒の考えてる スロー 連続
運転ができる。
例えば
山間部のカーブの多い 林道を地元の 年寄りは ど真ん中を運転する。
なぜ事故が起きないのか?
自転車 並のスピードしか出さないから大丈夫⁉️
フルスロットルでスイッチ、オンオフを気が狂ったように繰り返す 2人だけでやる自分のやり方を
彼はやりたくないのです。
それが無理のない自然です。
もう一人 結束、運搬をする人を雇ってもらって3人がかりで
スロー 連続 運転で1日 200 束 は可能でしょう。
****
それにもまして あの大人しい 伊那の従業員の方は
夕方5時頃、箱詰めを 終わったネギを軽トラに積んで 夜 名古屋の青果市場に
運んでいるとゆうではありませんか。
もう何も言えません、ご苦労様です。
これが伊那地方の農園業の一例です。
スローライフを求めて 信州へ、、、いいですね~
****
ヤンマーのネギの収穫の話はここまで。
この後どうするかと言うとバイクを整備して伊豆の金指くんのところへ。
汚れを落として チェーンにグリスを塗ってオイルチェック、
車載工具 チェック。
問題はチューブレスのアルミホイールのタイヤにチューブ入り
ブロック タイヤを履き替えること。
以前 大阪のバイク屋がかっこだけ オフロードにしたいお客さんに
チューブ入りのブロック タイヤを履かせる YouTube があった。
ふかふかの畑の中をスーパーカブのノーマルタイヤで動き回るのは
苦しい。
スマホでは それがいま見つからない。
スタンドの開きが大きすぎて サイドスタンドを使うと傾きすぎるような気がするので
リコールを直してくれた 駒ヶ根のホンダの バイク 店に相談しよう。
****
そして 突然 大きなテーマが現れました。
中川村へ引っ越してきて 禪呂くんに聞いたら この辺の畑 田んぼからは
縄文土器の破片がいっぱい出てることは聞いていた。
図書館で村の歴史とか 地質などは一応 覗いてはいた。
しかし 民俗資料館はしまったままだし
村の観光 PR の YouTube では
未だに村の成り立ちを 天竜川の河岸段丘
という戦前からの地学の伝統を
引きずったままである。
おそらく世界標準のプレートテクトニクス
という理論は日本の学会の
タブーなんでしょう。
大鹿村の中央構造線博物館の名物 学芸員だった方が何かの雑誌で発表したり
静岡大学の先生が YouTube で発表していたのを見たことはあります。
****
その歴史民俗資料館が何年ぶりかで オープンするという。
セレモニーが18火曜日で22土曜日から 大人 200円で通常オープン。
刈谷原遺跡という 弥生時代のはじめ ごろ らしい。
Google マップには出てこない。
こうなると 雲南式泥窯を作って一度も 火を入れていないけど
縄文 弥生式の土器が展示されるなら土器のコピーでもいいし
熊やイノシシ 犬 鶏、もちろん 人間 子供 年寄りの素焼きの
造形でもいい。俄然やる気が出てきました。
地元から出た粘土に近い赤土 こねて乾かして
枝 木の周りを草や葉っぱで埋め尽くし 高温にならなくても
長時間 くすぶらかしてでも熱を加えて焼いてみる。
雷おこしのような 焼成ではなくて焼結(分子の隙間が狭くなる)すれば
中に入れたものが 焼け焦げて不完全な水密になるかもしれない。
土器としての使い道が出るかもね。
早死にした赤ん坊の足裏の形、変身のための仮面、女性のトルソー
用途のない造形物、、、形になるなら何でもいい。
縄文 弥生から現代まで続く人類の妄想、空想を土をこねて作る 遊び
何万年も前、マンモスや大蛇や猛獣がうようよして造形 彫刻のもとになってた。
今でも 昆虫や生き物は目で見える。
ぬるぬる ぐにゃぐにゃした土が乾いて焼いたら、固くなって形が崩れない。
不思議だ。この 驚き から始まって高度なセラミックになったり、染付の便器や火鉢にもなった。
そして二度と誰も作れない青磁の器にもなった。
火を加えると物が変化する不思議さ、
それとは反対に火のかたまりの地球は85億年先には
冷え切って粉になって 宇宙の塵になる、早い話が全て無になるという
東工大の丸山茂徳先生たちの地球物理学の予測。
今のところ、これ以上大きなテーマはなかろうね~
じゃあどうする⁉️
各自 工夫して楽しく生きましょう、終わり。