恵那山のほかに興味あるのは馬。
いぜん老人ホームそばの勘助稲荷にいっぱい馬頭観音の石碑があって驚いたのがきっかけです。
日本にはもともと馬はいない。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/grass/41/2/41_KJ00004621964/_pdf
誰がモンゴルから馬をつれてきたのか?
羊は多胡羊太夫、伊那谷の馬も同化ユダヤ人だろうね。
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前回のブログで飯田から豊田へのN153(遠州街道)を恵那山の西側とかいてる。
地図や海図 いつも北を上にして見てるから
キャンプ場の正面に見える恵那山を北だと勘違いしてる。
恵那山の東側です、まだ土地勘身についてない。
伊那谷には古墳や縄文遺跡すくない。
飯田にはかなり残ってる。馬も一緒に埋葬されていたりする。
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http://saigyo.sakura.ne.jp/mochidukinomaki.html
和歌にうたわれるぐらい貴族の憧れだった信濃の馬。
しかしモンゴル、同化ユダヤ人に限らず馬は基本軍馬です。
去勢をしない自然放牧の馬の中流以下が庶民用の駄馬(荷物はこび)で
遠州街道の運送交通のかなめで中馬街道と呼ばれました。
馬頭観音が多いわけです。
付知の熊谷守一は初代岐阜市長を務めた大山林所有者の父を
持ちながら絵が描けなくて田舎に帰って杣人になったり
本気で馬匹になろうかとも考えてました。
飯田から山越えの遠州街道(N153)沿いにはあちこちに馬頭観音があるようです。
”徳演筆馬頭観世音碑” でかい観世音菩薩です。
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信濃に入ったら馬子唄が聞こえてきそう。
中山道(N19)は東海道並みの公的な街道。
遠州街道は民百姓の白タク稼ぎの街道。
馬を引く馬子はこんな唄い方しませんが
宴席では座敷唄がうたわれます。