2022年6月28日火曜日

暑いけど 乾いてる

 きのう(6/27月)泊りあけて帰ってきて

スマフォ検討。

宿直中にカレンダー、スケジュール表考案。

マスクの箱壊してはがきサイズにカット。

15㎜幅のsus物差しで縦横7列のマス目をかいて

上の段に曜日、その下に7月の日付けを左から右へ入れる。

泊りは前後二日の間の線に赤ボールペンで小さい楕円を書くだけ。

大きなカレンダーを折りたたんで持ち歩かないですむ

手のひらサイズ。

自分にしてはちょっとした大成功。

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ついでにスマフォのGmap航空写真を検索してたら

ドコモから1Gから2G stepに入りました、というお知らせ。

いままでは道路地図しかないと思って使っていたから

1G超えることはなかった。航空写真のマップは動画!

1Gなんてすぐ使い切る。

地理院地図不要なら

隣の若い人に勧められたドコモ ahamo 20G にしなきゃー。

寿命のマウスコンピューターからnortonをスマフォに移す。

あしたおとなり休みだからピンポーン押してnet申し込みやってもらう。

家族割はなくなるけど5分で電話すまないからかけ放題はのこす。

やすもの4Gはガーミンみたいな機能は使えない。

現在地と方位がわかれば十分。

スマフォカメラはメールに添付するのに使うぐらいで

ニコンの防水のぺったらカメラ携帯する。

そういえば動画音声も記録できるの思い出した。

活用しよう。低山の迷い道、遭難よけ、、、

もしくは動画音入り紀行???

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cafe de conspiracion は大勢が決まったから

ほっといても流動変化していくでしょう。

モンゴル帝国はなんの理念もイデオロギーもなしに

200年以上続いた。パクス モンゴリカ。

西欧人は思い出したくない、しかしイタリアルネサンスが生まれたのは

モンゴルのおかげ。光は東方からやってくる。

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近代合理主義、啓蒙時代をユダヤ人が作ったとは言いたがらないヨーロッパ。

貨幣、金融、資本主義、モダニズム、ユダヤ人のおかげとも言いたがらない。

今やその終焉を迎るヨーロッパ。

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1900年ごろ、明治大正昭和の時代、パリはたしかに”移動祝祭日”であったろう。

やがて ”赤い時代の始まり” 人々が自己分裂の症状を示し始める。

欧米も、ソ連も、日本も。

不自然なわけのわからぬ桎梏とたたかうなかから

音楽が生まれ詩が生まれる。

ヘミングウエイもその典型。

自分はニックアダムス ストーリーから下の映画の物語までしか読んでない。

ヘミングウエイはもうさめてる、情熱、運命の最たるもの。






形容詞や接続詞をそぎ落とす。

ヘミングウエイの文体を添削して作ってくれたのは

エズラパウンドという詩人。

赤い時代、反ユダヤのイタリアファシストのムッソリーニやヒットラーをたたえた。

戦後、アメリカに連れ戻されて

国家反逆罪に問われるも精神異常、狂人として13年拘束され解放された。

エズラパウンドという超パワフルな詩人にして聖人みたいな人。

多分アンチユダヤでタブー扱いなんでしょう。

ドストエフスキーもハイデッガーも反ユダヤ、そんな人はいくらでもいる。

ヘミングウェーは何一つユダヤに関して語らない。

自分の師ともいえる人が反ユダヤ主義の天才でマッチョ。

いわずが花としたのか?

それが自己分裂の淵源であることに気づいてたと思うのですが、、、

”本当の文章を書きたい、、、” というヘミングウエイ。

ゲーテは言う、”世界には内も外もないのだ”



アメリカルネサンスの後、19世紀になってロストジェネレーションとよばれた

文学者たちの革新的なスタイル運動。

それはフェノロサを通して伝えられたジャポネスク。

どおりでヘミングウエイは読みやすい文章だったことが

今になってわかりました。

(横綱審議委員会の委員、黒澤明映画の”まあだかい”のドクトル高橋)

ドイツ文学者の高橋義孝さんの評論では、能をはじめとする日本の伝統芸術は

感情拒否である。

能の開祖は 同化ユダヤ人の秦河勝

https://core.ac.uk/download/230560976.pdf



パウンドについては

https://core.ac.uk/download/pdf/230629317.pdf

ヘミングウエイどころじゃない、すごい男だったんだね。


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パリ?移動祝祭日 という名の喫茶店?

モノクロの写真から連想する。

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そいえばあったねー 東京 広尾

有栖川宮公園のカーブのところ、南部坂の入り口てまえ。

外のいすやテーブルにいつも白人男女がいてコーヒーやスナックを食べてる。

この先にチャイナ大使館があってその近くで解体工事やってた。

がれきを4tダンプに積んで所沢へ。


青山骨董通りの始まり高樹町の交差点、パトカーが

ぐりんとUターンしたので真似をしてぐりーんとUターン。

ピッタリ高樹町の料金所の前。

高速使ってシートもかけず100kオーバー、ピストン3回。

もうやりたくないねー。

帰りは六本木ヒルズを右回りにはいっていく。

錆びだらけの4トンダンプとルイビトンとかヨーロッパのおしゃれな店の

取り合わせが少し恥ずかしかったなー。

広尾は日赤や聖心女学院もあって宮様や皇后さんゆかりのところ、

白人の大使館も多いんでしょう。

それよりもなんとなくこのあたりにドイツ大使館があって

もとは伊豆小浦の三申小泉策太郎の屋敷だったはずと思いながらも

仕事に追われてるからそのままだった。

Google mapでみたらやっぱり有栖川宮公園のとなり

南部坂をはさんでドイツ大使館があった、広い。

小浦の三つの浜の小学生の修学旅行1500人は小泉策太郎邸に泊まることになっていた。

毎年、小浦の若衆宿の代表が一人、新年の慶賀のあいさつにうかがう。

奥様が出てこられて懐かしがられる。

http://www.hodaka-kenich.com/Contribution/2012/06/25160450.php


https://www.tokyo-np.co.jp/article/87300

10歳も年上の徳富蘇峰から ”先生なんで政治家なんかになるんですかー!”と

政界に入ったことを嘆かれた。

フィクサーと呼ばれながらも明治以来、

唯一の文人政治家。

友人の”露伴君”も訪ねてくる。幸田露伴を下田まで船で送った浜の鍛冶屋の

おやっさんとこには露伴の礼状がとってある。

反逆事件の幸徳秋水、軍国主義の田中義一その二人と親友だった小泉策太郎、

伊豆半島では韮山の代官 江川太郎左衛門につぐ傑物。

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広尾から1㎞ぐらい、目黒。

東京庭園美術館  旧朝香宮邸



アールデコ そのまえがアールヌーボー、モダンだねー。

東京にいても暇がなきゃいかないよなー。


ところが朝香宮が若いころ小浦の上のほうに出た貝塚か遺跡の発掘を
見に来られて、そこから太刀が出たそうな。
大正2年うまれの鍛冶屋のおやっさんはまだ子供だったから
朝香宮にくっつくようにして掘るのを見てたらしい。

あとで小泉策太郎が京都の研ぎ師に研いでもらって
朝香宮に献上したとのこと。

下田須崎の皇室の御用邸も、もと三井財閥の別荘、もちろん献上したんでしょうね。
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かすかに雷の音

通り雨が欲しいところ。

小津の”東京物語” 尾道をえらんですくわれた。

新藤監督の ”裸の島” 三原の宿祢島,、、(武内宿禰)
セリフをすべてカットしたら成功した。

ともに縄文テイストが残ってる。

万人に通じる直観、感覚。

それで十分だ。

ラルフワルド エマソン。 ニーチェは自分のブラザーだという。

アメリカの本流





めずらしく大西。 棚田の天端、体持っていかれそう。 雲が走って、新緑の葉裏がみんなひっくり返る。 伊豆なら沖は時化。 3時には吹き止みました。 **** 19日曜日、綿引君休み。自分は午前中ならteepeeの天幕上げ手伝える。 ロープワークやブロック、シャックル、Sカン、W南京な...