これがブログに最低限必要なもの。
何をしたかは後からついてくる。
泊りと草刈りの連続した先週、
老人ホームが自分の住まいのような錯覚をおこしました。
”妄想と現実の航海日誌” というのが自分のブログのサブタイトルだったのですが、
日誌を書くのは自分だからいつ、どこさえはっきりしてれば自然に思い出します。
思い出さなくても大した問題ではない雑事がおおすぎ。
警察でアリバイ証明しなくてはならないときなどないでしょう。
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宿直で転寝と妄想を繰り返してると
草刈りと宿直という新しい経験が連続して
日付と場所がないと妄想と現実の区別がつかなくなりそうでした。
古い日記などで経験したことがつい最近の日記でもあらわれたのです。
”いつ、どこ” が大事で何をしたかは二の次です。
”今日の朝は何を食べましたか?”なんて質問はこうやって生きてるんだから
どうでもいいことに思えます。
記憶に残る経験以外はどんどん消えて行くのが自然です。
その経験の積み重ねというか束というかそんなものが自分を形作ってます。
ただちょっと気がかりなのは付き合いが浅い人だと自分が相当変わった人物に
見られてるような気もします。ここ伊那谷で怪人物!?
それで自分が困ることはないのですが相手は困るだろーなーってことです。
それでも
言葉で自分のことを説明するなんてのはやる気がないし、
聞かれれば答えるけど
見てりゃそのうちわかるだろってスタイルです。
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ひととなりなどは箸の上げ下げからはじまってすべての行動に
オーラのように出てくるから隠しようもない。
小説を書こうとして ”あなたは女性の心理を分かっていない” なんていわれても
気にしない。
言葉はいくらでも装うことができるからね。
せめて戯曲のような会話体にしないと信用しずらい。
行動、何をするか、何をしたかでやっと納得できる。
ただの紙っ切れの紙幣と金に裏打ちされた紙幣ぐらいの差がある。
小説で心理描写はしない、できるだけ避ける。
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宿直で妄想にふけっていると
よのなかの言説の大部分は問題を解決することに集中してるようにみえます。
問題を解決する能力がその言説にあるかどうかが常に試されています。
これこそ万能のクスリ、道具というのはいまだないようです。
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そこにくると芸術は問題を解決する必要がない!
ただただ ”うーん” とうならせるだけでいい。
ついでに ”これは奇蹟だー”とでも言われたらまず十分でしょう。
まー滅多にないことでしょうがそんな作品に出会えることを願っています。
今日は草刈りも泊りもなし、完全な休日でした。
あしたアパートの斜面の草刈り、雨降らなければいいなー。