2024年4月2日火曜日

御嶽山 東側

 月初め2連休になったので慣らし運転もかねて

御嶽山の北側へ行こうかと思っていたら綿引君が暇そうにしてる。

声掛けたら”行く”というので急遽、

お気楽山岳紀行からシビアな過負荷、現実へ変更。

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6時に出発しても権兵衛トンネルであおられ

中山道N19に出たら乗用車のラッシュアワー。

木曽福島で旧中山道に逃げ込み県道20号線で

開田高原西野へ向かう。

Gマップみるとそこらじゅう御嶽山ビューポイント、絶景ばかり。

道路はレジャー、行楽の店だらけ。

興味なし。

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ごんべー峠でて7/11で一息入れてると黄色いカブによってきた親父さん

ホンダの熱烈ファンでバイクも車もトラックもみんなホンダで数十年。

三岳の石屋の社長。今日は軽トラで一人で伊奈の別荘の奥さんに頼まれて

旦那が残した庭石を粉砕して庭に敷く工事をやりに行く。

ごんべートンネル100km/hで下っていく。

御嶽山の裾から頂上の石材工事全部自分とこで何十年もやってる。

頂上の資材はヘリコプターであげる。

町田の解体の親方は墓石の撤去、お祓いしてもらってやったけど

あとでなにかあったかしらないけど ”もう2度とやらない”といっていた。

社長は笑って ”うちは墓石なんか砕いて敷石だよ”

御岳信仰 念力の強さが桁違いなんだろな。

年を聞いてくるから答えたら同い年で名刺をくれた。

今から開田高原西野に行くと言ったら

”あそこは本州で指折り寒いとこだ、北海道の石工がこんな寒いとこ北海道にもないっていってた”

確かに前の日の朝がたスマフォで今何度と聞いたら下田より20度寒かった。

しかし日も上がってバイクはぽかぽか。

”御岳山は富士山より広い、噴火口が5つもある”といってた。

富士山の溶岩はさらさらしてて円錐形になってる。

御岳は少し粘って稜線がごつごつしてる。それでも東側はいくらかなだらか。

開田高原と呼ぶぐらい高原状。

しかし二人乗りのカブ号には上って降りての繰り返しになる。

リッター30km走ってたかどうか。

荷物はポケットとウエストバックに入る程度に制限してる。

今日の目的地はここ。

https://kids-kouko.com/historical_site/chubu/pref_nagano/421/




縄文以前の旧石器時代

弓矢を発明する前、

槍の穂先

柳又Aポイント



御岳山まわりには石積がない、棚田もない。

水稲栽培ができない寒さ。粟 稗 黍 ソバぐらい。

風景が草原、すすき、かやの原

氷河期の旧石器時代どうやって住んでたんだろ?


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御岳山より、カブ号よりもっと重大な発見!

畑の溝は、、、粘土色。そのうえに黒ぼくど。

指でこするとぬるっとする。

開田高原は木曽駒の生産地だった。

草原を焼いて牧場にしてた。

この県道を登っていけば西野の部落。

馬大地主の民家にたどり着く。

月曜日休館。

後で一人でこよう。











これをどうやって手に入れるか、それが問題だ。

https://www.ntv.co.jp/megaten/archive/library/date/09/04/0404.html#top

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アンパンとお茶飲んでさっさと帰る。

下り坂80km/h越え。

中山道まばら、ごんべー峠下り80越え。

12時に帰着。

あんまりあっけらかんとしてるので逆戻りして

隣町に豚骨ラーメン食べに行く。

外食はしょっぱいなー。

夕方 7/11でハトメキットとチューブレス修理液 払い込みに行く。



乾いてる

Facebookをあけると古代の遺物のほかに絵画がいやっというほど でてくる。 グネグネのゴッホのほかに ピンボケのモネ、べた塗りのゴーガンその他、、、 保存するのはゴッホだけ、古典の巨匠たちもたまに出てきたらほぞんする。 それでも気になるのがあるとついつい見てしまうのが 湿度0...