朝、隣の綿引君の布団を産廃屋に 捨てに行き
そのまま禅呂君のとこへ。
綿引君はきのう四つんばいになってアスパラの古株抜いていて
つかれて弁当を作る時間がなかったとか。
だもんで地べたにベターと座り込んで2~30cmの倒木を
手鋸で1m以内に玉切るしごとをつくってやる。
弁当持って来ない彼は禅呂君のおかーさんとこ行って
昼飯作ってもらってた。
孫みたいなもんだね。
2時ごろ仕事おわって村の引換券をもってスーパーへごみ袋を買いに行く。
大きいごみ袋70枚たまって2年は持ちそう。
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次は粘土作り。
土器土偶の素焼きだからそこら辺の泥土でいいと思うけど
いちおう水簸をやって粘土に近いのを作る。
モグラが起こした黒ぼく土みたいのがあるから集めてみる。
いずれ天竜川とか村のどこか行って粘土探しやらなくてはならないでしょう。
縄文のコピーあまり興味ないけど練習でやる。
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大きな範疇の似た形式はあっても
どれ一つとして同じものがない不思議さ。
縄文人は他人と同じものが作れなかったんじゃないか?
不器用? ちがう。
焼き物も人間もおなじ、似てるようでみんな違う。
ただヒスイの勾玉はみんな似てる。
土偶は竪穴住居の炉、消し炭で焼いたんじゃないかという人がいる。
小さな土器土偶はそうかもしれない。
低温で長時間。繰り返し加熱。
どの民族も1万年前は今とは想像を絶する別世界に生きていたろう。
ギリシャの哲学者を現代に連れてきて話させたら狂人としか思われないと
誰かが言ってた。そうだろーなー。
毎日、犠牲の心臓をささげなければ世界が終わるという宇宙観と共通する
1万年前の人類の世界観。
現代人には理解不能。ただただ圧倒されるだけ。
これはなんなんだ!?