草刈り前にハチの巣探しするためにハチ駆除業者のYoutube 見すぎて
寝不足のまま綿引君と7時半出発。
”中津川の恵那神社と田舎の和菓子屋さがし”
飯田過ぎて山に近づくと雨。
恵那山トンネル出たら雨はやんでたけど降ってもおかしくない曇り空。
中津川上っていくと工業団地の途切れたあたりから田舎の風景。
中津川上流は砂防提代わりに大きな丸石でえんえんと堰が作ってある。
恵那山のふもと、中津川からあがったところに恵那神社がある。
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神社の由来を読むと イザナミは北側の神坂峠を登ってきたらしい。
ただ神話の正確さを求めてもしょうがない、というか興味ない。
新井白石の ”神は人なり” というのが一番しっくりくる。
太陽も人も言葉も80億年後には消えてなくなるというから
それまでは楽しもう!
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綿引君が本堂の横の絵札のかかってる壁の内側でコツコツ音がするというので
小鳥でも入ってるのかなと二人で叩いたら、反応する。
そのうち分かったのはどうもカエルの鳴き声だったようだ。
しかし
そのあと一匹のハチが頭の周りにまとわりついてきたので
早々に退散する。
きれいに手入れしてあって、年寄りがこまめにナイロンコードで
草刈りしてる。
それでもハチは地面の中に巣を作る、気を付けよう。
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そのあと中野方町の坂折棚田へ。
観光地になってるから行きたくないけど冷たいコーヒー買いに行く。
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ただこの坂折棚田はここを開いたのが柘植の2兄弟。
信長が本能寺で明智に殺された日に家康が招かれて堺まで来てた。
側近しかいない。恐ろしい落ち武者がりの追手がくる。
服部半蔵が伊賀甲賀の黒鍬者あつめて超特急で山越えさせて
津から岡崎へにがす。
家康は天下とってから黒鍬、同化ユダヤ人をお庭番、隠密、偵察、工作員に採用する。
そのなかに伊賀の松尾芭蕉も柘植の黒鍬も入っている。
高度な石積み、灌漑、治水、土木技術も持っていて各地で徳川の時代活躍する。
ここ坂折棚田も柘植の兄弟が開いた。
家康に近い三河、美濃にかなり柘植姓がある。
坂折棚田のある中野方町に900人、となりの八百津町に400人、恵那に400人、、、
伊豆大島の皇族や財閥が泊る旅館の板長が恵那の豪農の息子 柘植なにがし。
それが つげ義春の父親。
坂折棚田の隣は八百津町潮見。
そこの山の直売店にいってみる。
気温はぐんぐん上がって湿気が多くて雲がそこらじゅうで湧きあがる。
寝不足で二人ともばて始める。
田舎の和菓子屋探しはあきらめる。
というのも途中の林道、県道、田舎道が素晴らしく、
観光地避けて来てるかいがあった。