幅広荷台のクローラー運搬車あるって禅呂君がいう。
お蚕さんやってたから桑の枝葉はこぶのにつかってた。
500㎏~1トンの運搬車かもしれない。
簡単な整備ですぐ使えるだろうって。
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禅呂君が下の棚田の法面を半分ぐらいやってくれていた。
出ていくのが遅くなったから6時過ぎまでやったけど
あした半日あれば終わりそう。
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帰りがけ禅呂君に駐車場の件聞いてみたら運搬車あるってことが分かった。
土盛りや舗装は業者を調べてダンプレンタルして自分で運べば最安。
石はいくらでもある、村の人からでも石もらえる。
石積み学校、土木の学校できるじゃなーい!
今思いだしてるのは
カナダやアラスカでやったキャンプファイヤー。アンカレッジから200kmぐらい南の
Homer Spit。
前の年に続いてアラスカ ガラバン、エスキモーのデイビッドやチャーリーに会いに行く
ついでにインド帰りの町田の通人がアメリカ入国するの案内してほしいというから
つれてった。
ガラバンで知り合った、、、うーん名前忘れた あ ロジャーだ。発音が難しい、、、東部出身の白人の友達のアパートを訪ねたら不在。そこはアパート中がみんな友達みたいなところで陽気なメアリーにきいたら
マーシャ ハニーはホーマースピットでドラグ アンド アビューズの仕事をするようになったらしい。
セスナに乗り換えて行ってみよう、ロジャーのことがきけるだろう。
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話をはしょらないとキャンプファイヤーにたどり着かない、、、
マーシャ ハニーいうことには
”ホーマースピットで日本の会社がすじこの箱詰めやってるからそこで働けるかもしれないわよ”
自分は1970年バンクーバーバンクーバーアイランドで愚兄の手伝いで鮭鱒の買い付け、
すじこ作り経験してる。町田の通人はインドしか知らない。
もちろん日本人だから二人とも即採用、シーズン終わりが8月いっぱいだったか覚えていない。
町田の通人に一か月ぐらい付きあって働いた。職場はメインランドから来た女子大生がほとんど。
アラスカはユニオンがないから女子も雇ってもらえて徹夜で稼げる。
たいていはそのお金でアラスカのワイルドライフを楽しんだりヨーロッパを旅行する。
シーズン終わってさーガラバンへという頃、native の若者からアメリカに不慣れな
友達を置いていくのは非情だと強く責められた、でもイミグレーション通過するまでが約束だったけど不法労働まで付き合ったから十分だとなった。
当の本人は女子大生にくっついてフェアバンクスやデナリの旅行を楽しんだ後
アラスカンハイウェイの長距離トラックをヒッチハイクして カルフォルニアのサクラメン
ト、、、日系人の多いところ、、、でおろしてもらって日系レストランで働いた。
しかしかなりきつかったようで何か月後か知らないけど日本から彼女が ”私がついてないと
この人はダメだから”とむかえに行ってめでたく結婚する。
仲間内では唯一、仲の良いおしどり夫婦と言われている。
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でキャンプファイヤー: ホーマー スピットで最後の夜 ビール飲みながら数少ない男た
ちだけでこれからの予定なんかそれぞれが話してた。
乾ききった流木の1mもありそうなのが熾きの上で燃え続けている。
10mぐらい離れていても遠赤外線?のせいで熱い。
焚火はこのくらい大きいのがいい。へやのなかの洗練されたストーブとは別世界。
それには直径10mぐらいのファイヤーピットを石積みで作る。
山の倒木を引っ張ってきてドスンドスンと重ねる。
せなかに石積みの壁、ベッド代わりにもなりそうな石積みの円座。
真冬でも石があったまって外で寝れるかもしれない。
これを作ったら禅呂君、石積み学校の先生になれる。
そのころ neo縄文 泥窯はどうなってるだろうか?
暇さえあればモノつくりは何でもたのしい。
たぶん新,珍,奇 を衒うのを避けて
生なりの凡庸なままでしょう。