朝の暗いうちに起きてシルバー草刈り。
11時半に帰ってきて、今夜宿直。
そのあとぽっかり、、、3連休!
伊豆か奈良、法隆寺行きたいけど
梅雨前の衣替え、部屋片づけ、小枝のラック、あられ、、、
動けない!
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草刈り、泊りの間、することないから義経伝説の検索。
語られる本は多々ありますが今のところ最上のものは
私家本で『義経入夷渡満説書誌』岩崎克己著 10~20万円、入手不可能。
まじめな研究者のかたの電子書籍がPDFになって149ページ。
時間が足らず半分までしか読めなかった。
http://www.i-promotion.biz/book/book_3/download/book3.pdf
明治、昭和の蘭学者、英学者たちの努力がうかがえます。
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学者、研究者たちは言葉、文字で考えそれを書いていきますが
時代を超え、世界レベルの著作を表すのは至難の業です。
自分の少ない体験から漠然とわかるのは
”庶民レベルの感覚、直観で現実を観察したものしか世界レベルに達しない”ということです。
おびただしい東北、北海道、樺太、満州の神社、石碑、文字のない人たちの言い伝え、
無学な庶民の伝承説話。
学と教養がある人はまるで相手にせず嘲笑軽蔑します。
ニーチェは彼らを教養の俗物とよびましたが
たとえフェイクニュースを毎日飲みこんでる庶民でも無限のくりかえしのうちに
ことの本質、現実、自然を体得していく。
日下公人さんが ”庶民は天才だ” というのはそういうことです。
秀才や教養の俗物にはまねができない。
歴史に残る思想家や哲学者は庶民の感覚、直観で世界を把握できた人たち、稀です。
江戸時代の国学者 本居宣長が古事記を解釈しなおして筋の通った日本語にしました。
英学者の渡部昇一さんはそれをオカルティズム(神秘主義)だといいました。
しかし、いまでは日本神話がそのまま歴史につながっている、
世界で唯一の例とみなされるようになってきてます。
近代、欧米の基準で考える習慣(一種の洗脳)から抜け出せないとそうなります。
庶民の信仰、言い伝え、説話、物語を現地に行って聞き、見てるうちに
なにか感じ、心に残るところがあれば科学的客観性、根拠はなくても
大事にしておく、それが心豊かな普遍性の基となるような気がします。
満州や、清、シベリア極東、樺太、間宮林蔵ほか江戸幕府の役人の探査が
よく保存されています。
これからも研究が続くでしょうが、わずかな文字資料だけに頼ったら展望は開けない。
どうする? それは研究者、学者の課題です。
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前回のブログ、そこらじゅうで刈り入れを待ってる麦畑の写真をupして
小津映画の”麦秋”の誰かのコメントをリンクしましたが
彼の映画の登場人物はハイカラ、ホワイトカラーとその家族。
舞台は都会、早口の山の手言葉。毒っ気に子供が入れてある。
ハリウッドの欧米が下地にあって日支事変で毒ガス部隊の伍長やってから
価値観が崩壊。いらい今の小津映画が出来上がったろうと思います。
自分には見るたんび、どこか違和感が残るのはなぜだろう?
シェイクスピに似た後味とはいわないけど
西行や芭蕉、一茶、守一とは違う。
ユダヤのハリウッドと京都がフューチャーされていることから
きているのかもしれません。
もっと縄文のテイストがあればいいんですが、、、、