まだヒマにならない。
F.B.のともだちが与謝蕪村の府中の展覧会を紹介してる。
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/tenrankai/kikakutenkaisai/buson.html
軽妙な絵は和みますねー。
近くだから自転車でも行けるなー、、、
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それに比べて俳句のほうは昔から争論の的になってるみたい。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/47985_41579.html
https://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/47566_44414.html
蕪村や一茶から崇拝されている芭蕉が世界の文学史に名をのこしているのは
当然といえば当然。
松尾という名は同化ユダヤ人秦氏の系譜、永遠の漂泊者という普遍性がある。
太秦松尾大社、広隆寺が氏寺。
蕪村や一茶は縄文以来のやまとごころ、楽天性に富んでいる。
正岡子規も萩原朔太郎も近代の西欧を取り入れる時期の人。
近代がユダヤ人によって作り上げられてきたことを
知らなかったかもしれないけど、
ヨーロッパ近代を血肉化しようとして免疫不全に陥る経験をへて
縄文、やまとごころにもどってゆく。
にもかかわらず日本語は永遠の漂泊者、旅人という普遍性を
摂取、消化して豊かになったように思えます。