右タイヤ縁石にこすってパンク。
近くのコンビニに飛び込んでタイヤ交換。
3tジャッキは積みっぱなしだけど十字レンチおろしたまま。
ぽつりぽつり降り出した雨が、、、本降りに!
傘さしステイック1本持って十字とモンキー取りに帰る。
なんだかんだ1時間ぐらいかかって出発は4時に。
高崎の古墳について車に立てかけておいたウォーキングスティク1、
コンビニの駐車場に忘れてきたー!
いずれにせよ徹夜に近いからすぐ寝る。
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古墳でコーフンとはならなかった。
4Kドローンのほうがいい!
実際に行って見て古墳が馬の背のように湾曲してるのは
ドローンではわからなかった。
雨あがって30度C越え、こちらはバテバテのまま。
家族連れや、年配の方々続々やってくる。
他にも古墳や資料館あるけど歩き回る余力なし。
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pen mini 2に入っていたラフモノクロ
みんなコントラスト強すぎ。
ふつーにカラーで撮って後で彩度0にした方がいいみたい。
正面の山並みぜんぶが榛名山、山裾から降りたところが高崎、前橋。
古墳群は市街地の中。
縄文海進でどこら辺まで海が来てたのか貝塚調べないと今はわからない。
後で気が付いたのだけど254川越街道は池袋~川越ぐらいに思っていたら
高崎、佐久のほうまで続いててびっくり。
関越の左側、山沿いは初めて。高崎そのものが初めてのところ。
山越えの偏西風がこの平野を吹き降ろすだろうことは想像できる。
”上州の空っ風”だもんなー。
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高崎市内から羊神社へ。たぶん多胡羊太夫に関係してるだろうとの予想通り!
ただ土地勘がないのとスマフォのGマップ、画面サイズ最大にできずうまく使えない。
なんどもなんども停車して道を確認したり探したりする。
大雑把な地理はつかんでおかないとカーナビでも入り組んだ山道は迷いやすい。
流浪の民ユダヤ人が天皇から土地をもらいその地に住み着く。
信じられないほどの僥倖。
羊太夫がこれほど厚遇を受けたのは秩父で銅の鉱脈を見つけ
銅を採掘、精錬し献上たから。和銅開寶という金を作って流通させようとした、
つまり金を貸して利子をとって儲けようとしたけど日本人は使わなかった。
カネを貯めたら貴族の位をやると藤原氏とキャンペーンしたけど流行らなかった。
どうして?
しかし鉱山の技術とか大仏鋳造の技術などみんな同化ユダヤ人いがい知らない。
蚕から絹を紡ぎだすのも羊太夫の技術。
とにかく縄文人にはなかったハイテク技術所有の集団。
群馬は昔から馬、羊をはじめとする家畜をかい
なおかつ現代のハイテク工業も持ってるから地味だけど豊か。
社の改築に寄進した人の名を刻んだ石碑、これ見て顔がほころんでしまいました。
”多胡だらけ~!”
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なんども道に迷いながら多胡碑の保存館に行く。
この山 妙義山かなー?
こんにゃく畑
案内の女性も親切丁寧。 ユネスコの記憶遺産になってるとか。
足尾も世界の近代何とか遺産になろうとしてましたが、
公害の原点とかのイメージが邪魔してどうなったかなー?
国連、ユネスコを作ったのもユダヤ人、多胡羊太夫もユダヤ人。
そりゃ簡単に遺産になるよねー。
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まーとにかく宣伝、教育、観光、文化遺産保護に熱心。
これなんかは色んな物事が混交してて現代そのものです。
遺伝子の混交も長く、日本人と同化ユダヤ人の区別もむつかしい。
しかし
戦争を仕掛け、敗戦処理、占領計画もほとんどすべてユダヤ人が計画したにもかかわらず
天皇の責任を問わず天皇制を存続させている。
日本、日本神話そのものにユダヤ人が入っていることを知らずとも
なにかの親和を感じていたのも否定できない。
日本人の親和力、同化力とはなんだろう?
あの薄っぺらな ”世界、人類,みな兄弟”のスローガンではないだろう。
自分たちに都合のいい歴史が今後書き換えられていくのを予想できるユダヤ人たち
がこれからどうするか見ものではあります。
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254川越街道に出てほとんど同じ道を帰ってきました。
夕方の西日がまだまだ輝いていました。
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コンビニに立ち寄ったらウォーキングスティック
奥からすぐ持ってきてくれました。
”ありがとー!”