親方、庭石運びに行っていないし、昼から雨だっていうし、
やることいっぱいあっても急がない雰囲気。
じゃ休みにしよう、、、と7時前に帰ってきました。
車の窓にぽつりぽつり降ってた雨、天気予報通り雨になるかし!?
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きゅうにできた休み何しようか?
古いPCに入ってた、古いブログの写真、救い出すのにスクリーンキャプチャーしたのがOnedriveに残っていた。
それをフォトにいれて編集加工(モノクロ正方形)にしよう。
やってみたらどうしてもフレイムを変えられないのや
モノクロにしたら何が写ってるのかわからなくなるのも出てくる。
モノクロ正方形にこだわらずデスクトップのふちだけ切ってトリミングしました。
古い写真を拾い集めて何をするわけじゃない、ただ眺めるだけ。
Google Bloggerの画像の扱いがどうなってるかも
わかるだろうからUPしてみます。
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年月など順不同で写真の記憶を少しメモしておきます。
すべてスクリーンコピーだから大きくするとボケます。
湊のボーカルの家で30インチ以上のTVにつないでみたら日曜日にしか放送してなかったNHKハイビジョンTVよりシャープだったので二人ともびっくりしました。
シグマのDP2で始めたころの写真はオリジナルサイズにしてモニター画面でその解像力を金指君とたたえあったものです。
写真は南伊豆町の八幡神社の夫婦楠、静岡県の巨木のひとつ。
日清日露のころから出征兵士はここにお参りして役場のそばの東海バス発着所から見送られていったらしい。
お世話になっていた校長先生(昭和一桁)のはなしではバスの窓から
涙流してウォンウォン泣いてる若い兵士(大正生まれ)もいたそうです。
軍歌ナンバーワンは”出征兵士を送る歌”で、、、
~さらば祖国よ栄あれ、が決めセリフです。
終戦で兵隊から帰ってきたひとのなかには
兵隊に行かなかった昭和一桁を”生意気だ”というひともいた。
昭和一桁といってもGHQの戦後教育をうけているから
戦前とまる反対の人間に育って行ったのでしょう。
赤紙を三度もらって生きて帰ってきた方もおられました。
風貌もおだやかでひょうひょうとされてました。
校長先生のお仲間で油絵を趣味にされていました。
兵隊に行った人はなかなか戦地の話をしてくれません。
先日、父の日にある著述家が戦争の話を一切しなかった
父(小隊長ぐらいのひと)の部下だった人たちを訪ね、勲章をもらっている自分の父がどんな働きをしたか聞いて回った話がアメリカの保守系のBreitbartにでてました。
”ほかの兵隊と違うことはなんもしてないよ”みたいなことしか言わない父をみんなが素晴らしい人だったとほめ、感謝してる。
一人だけリアルな話をしてくれた人がいた。”戦争のはなしをよくするやつは何にもしなかった奴だ!”
父の日にその著述家は世の中をまた一つ学んだようでした。
庶民とはそういうもんでしょう。
ほんわり花霞がかかった2月半ばの青野川、
これもオリジナルサイズに拡大すると
遠くの電線が確かに解像してると金指君と喜んだものです。
弓ヶ浜のさきっぽにある盥岬。冬でも磯釣りの人がいる。
拡大するとこの水の色にひきこまれ、まるで自然そのものを味わってる気がしました。
いじょうモノクロ正方形にならない写真のサンプルです。
フレームいっぱいに写したのはトリミングのしようがないのかもしれません。
画像が小さいから(2~3M)1まい1まいUPするにはそれほど時間かからないようです。まとめて10枚ぐらいやりたいけど今は無理。
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画像サイズを大きくしました
すこしぼけるかなー
リコーの現場防水📷カメラです
このくらいがいいとこかなー
クマゼミの青緑色
弓ヶ浜の二見屋さんの手伝いの帰り
盆のさなかで昼の休憩時間
湊の村の道
花の名前がわからない
さるすべり?
薄いピンク色もモノクロでは無理。
目の前の青野川に写った空の雲
知ってる人にしかわからない!!
クリーニング屋さんの横を流れる鯉名川にうかんだ
花筏を写したら川岸の赤いフェンスがくねくね。
ふだん見落としてるものの中に
面白いものがあったことに気づく
雨の日はリコーの防水現場カメラ
UVフィルターの中が曇ってしまってる!
青野川の河口
コピー保存できなかった
これ以上のどしゃ降りになったら
何も写らない
台風で交通止めになったとき
塹壕の中からとったような写真は
ただの真っ白け、しぶきだけでした。
今日はこの辺でやめときます。
明日も雨かもしれないけれど 準備します。
Facebook連携のマークついてたからやってみます。