東濃 柘植姓から開田高原 木曽馬へ。
どちらもカブ号で2時間以内に行けるところ。
観光やグルメ、地域おこしから少し離れてるかもしれません。
自分の本音はさしあたり ”粘土が欲しい”、、、だったのですが
何か意味深ーい経験が待っているような予感がしたのでアップしておきます。
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火山灰大地の上で野焼きすると黒ぼく土がたまる。
その下には粘土っぽいローム層。
斜面の草刈り慣れました。草運び女性の仕事、遅いけどできます。
1年通じてボランティアあるみたい。
いきたいなー。
腰にクマ鈴付けてるから熊がいるだろなー。
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日本に馬が入ってきたころ豊芦原、草地は湿地帯しかなかった。
狭すぎて多くの馬が飼えない。
恵那山越えた御坂峠の向こう側、つまり飯田、南信濃から北へ牧をさがす。
飯田あたりは急に大量の前方後円墳がきづかれそこから埋葬された馬が出土する。
古墳時代、伊那谷,信濃は馬のメッカになる。
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隣町の記者出身の歴史愛好家の方が講演をしてます。
馬に魅せられる写真家が多いですね。
http://www.chie-project.jp/011/no09.html
東濃出身の熊谷守一は馬のデッサンだけは下手だったと娘さんは言ってました。
木曽馬はずんぐりむっくりだからスマートではない。
女性が世話するから小さいほうがよかった。
しかし足腰強いから戦国武将が欲しがった。
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日清日露で馬の改良命じられてもひそかに抵抗して
純血種にほぼ近い木曽馬を確保して戦後再生した。
しかし時代の波は機械の発達で
木曽馬使わなくなって激減。
絶滅寸前になってる。老衰したその馬を安楽死させて剥製ほぞんしてある。
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しかしここからが問題。
若い大学の先生の講義、、、庶民には難しい。
これは縄文テイストとユダヤテイストの違いなのです。
自然のなすが儘に任せます。蝋人形や剥製はきみわるいです。
近親交配による奇形児出産、
地球寒冷化で人口が3分の1に減ってしまったら土偶がそうでした。
木曽馬もそうなります。
縄文テイストとユダヤテイストが混合して最適解が見つかるといいのですが、、、
今までは日本の歴史と宿命の前で各自が深く感じて行動するしかなかった。
これからもそうでしょう。