2022年3月25日金曜日

切子のタンゴ

 ここの所ずっと溶接なんだけど小さい部材に穴開けてます。

でっかいボール盤にこれまたでかすぎるバイスが台の上に固定してある。

穴あけの数も多いから ”油ありませんか、てんぷら油でも何でもいいですよ”と

お願いしたら機械油持ってきてもらいました。

それでも物が小さいから穴が開く瞬間とかドリルを抜く瞬間、

力を入れて押さえないとクルクルクルと回ってあぶなーい。

何回か持っていかれてすぐストップのボタンを押す。

しかし暴れまわったとき大きなバイスにぶつかり4㎜のドリルが折れた!

作業場には大きな箱の中に太いのから細いのいっぱい入ってる。

しかし4㎜のドリルちびたのが一本だけあった。

仕方なく両頭グラインダーでいい加減に研ぐ。

一瞬、切子が出るけどぼそぼその削りくず。

それでも何とか穴開ける、あ~h。


あしたの材料はそろったからちびた4㎜のドリルを研ぐ。

まるで形ができない。

座繰り用の8㎜も刃こぼれしてるから研ぐ。こちらはいくらか切子が出た。

いずれにしろ見ようもまねの素人仕事。

大島さんが5時過ぎやってきて”明日4㎜のドリルもって来ますよ”といってくれた。

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かえってからYouTubeで参考になりそうなドリルの研ぎ動画をさがす。

研ぎ方動画はたくさんあってもそのドリルでどんな切子がでるの?という動画は

ない!

音のない音楽聞いてもショーがないと思っていたら唯一ありました!


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鉄工所で鉄工のイロハのイを習ってるとき細いドリルは社長のみっちゃんに頼むと

いつも文句も言わず研いでくれた。

ぐらーぐらーする細い4本足のグラインダー。

3㎜、2㎜でもみっちゃんの研いだドリルは

2本の切子がぴゅーと出てきていつまでもつかえた。

思い起こせば勝兄も自分もこれがいけなかった。

40年前YouTubeはなかった。ただただ年季を積むしかないと思っていた。

みっちゃんは口下手、国語苦手。

中学でて川崎の東芝にはいり医療機器の板金部門にまわされた。

突如板金に目覚め、家に帰ってからも紙を切ったり、折り曲げたり

四六時中やってたらしい。

何歳の頃かわからないけど東芝の試作品を開発するグループに選抜されて

京都大学の人と一緒に医療機器を作ったらしい。

20代後半なら技術オリンピックでてもおかしくない腕だったかもしれない。

螺旋状に人体の断層写真をとる機械は東芝が世界の95%以上のシェアを持ってる

と聞いたことある。

工場が今市に移転することになって

多摩の農家のバッチで地元を離れられず退職して自営業。

といっても口下手で営業はできない。そんなとき勝兄と知り合い友達になった。

勝兄も根っからの電気工事の職人だったけど色んな事情からみっちゃんの鉄工所で

働くようになり何年かたった。

鉄のヨットをつくるめに溶接覚える必要があった自分も

そのながれでみっちゃんのところでお世話になった。

あー次から次に思い出されてきりがない。


”切子のタンゴ”  言葉のダジャレに過ぎないけど物づくりの職人、職人技

それにあこがれ、尊敬するのはとても楽しい。

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鑿や鉋の刃研ぎはまるで縁遠かったけどドリルの刃研ぎはいくらかでも

真似事してた。

でもみっちゃんは何一つ教えもしなかった、

覚えたければ、ただただ年季を積むしかなかったのです。

細いドリルでも二本の切子が舞い踊る技術を

覚えようとしなかったから今の自分があるってわけ。

しかし、いい時代にめぐり合わせました。

YouTube参考にして自分で練習できる時代です。

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趣味の鉄工とはいえでかいボール盤に30cmサイズの馬鹿でかいバイスが

固定!錆びついてる。 

まず油をさしましょう!機械は油断大敵、事故の元です。

そこらじゅう油だらけにして面倒でも小さい部材をバイスに挟む。

これだけで事故を防げて、ドリルもおらずにすみます。

あとは暇を見つけてドリル研ぎの練習、練習。

手研ぎの刃物は美しい。それらが作り出す物も美しい。





 



乾いてる

Facebookをあけると古代の遺物のほかに絵画がいやっというほど でてくる。 グネグネのゴッホのほかに ピンボケのモネ、べた塗りのゴーガンその他、、、 保存するのはゴッホだけ、古典の巨匠たちもたまに出てきたらほぞんする。 それでも気になるのがあるとついつい見てしまうのが 湿度0...