2020年7月20日月曜日

言霊と言上げ

久しぶりに日が照って、きのう2時間ばかり自転車ででかけました。

用事を済ませさしあたって残ってるのは2,3年分の伝票整理と
スマフォ、コピー機などの設定ぐらい。

銀行ATMに前の人のカードが忘れてあった。
あいにく日曜日、隣は交番どうする?

エレベーターの緊急用受話器みたいの見つけて電話。
すぐに応答があって遠隔操作の指示どおりやったら
取引中止の画面が出て
カードがするすると のみ込まれていった!
もどってこない!
受話器から ”ごきょうりょくありがとうございました”のお礼の言葉。
一件落着。

日曜の朝タップリ寝たから自転車のヒルクライムも大して苦にならない。

カメラ持ってはいったけど小さな堰で泳いだりする子供たちや
親子で昼寝してる野鴨たちの写真撮る気にならなかった。
住宅地の雑排水が流れ込んでる、、、
川沿いの遊歩道、梅雨の合間のいい天気だから人がたくさん出てる。

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あした天気持ちそうだから顔出ししようと寝たはいいけど
あれこれ予定を考えているうちに寝そびれてしまいました。

けさは早朝から何でもかんでもGoogle chrome に集めました。
そのあと万葉集のデジタル版探したらあるある。

しばらく見ていたら
日本は言霊のにぎやかな国というのと日本は言上げしない国という
反対のことがいろいろでてきて???です。

言上げ というのはニーチェ流に言えば ”権力への意思”で
和の心持からすればタブー。
しかし遣唐使船に乗ってゆく人にこのタブーを破って
”ボン ボヤージュ”と叫ぶ。
そこから言霊、事上げ大礼賛の風潮ができてきたようです。

そしてその言い出しっぺは江戸時代の本居宣長あたりかもしれません。


森永キャラメルの財団が提供です。江崎グリコも森永も肥前鍋島。
長崎街道がシュガー街道と銘打って町おこしやってました。
長崎の出島以外は肥前鍋島藩の領土。

2003年のすばらしい研究発表、netが普及するちょっと前です。
歴史にユダヤ人がでてこない。
文字資料だけの国学、国文学、日本史。

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netが普及して情報量が爆発的に増大しても
言葉、言語を媒体として使わざるを得ない知識、評論活動を
専らにする人びとその他のひとびとの違いは歴然としてあるように
おもえます。

物言わぬ庶民、声なき民、サイレント マジョリティー。
農民は種をまき、漁師は舟をこぎ、工人はものをつくり、商人はものを売る。
天平のミケランジェロ 公麻呂が作った仏像、
あれらを見てると世界の至宝と言われながら
自分にはそこらへんにいる物言わぬ庶民、
二宮尊徳の時代にもいた大したことは何一つできないけれど
コツコツと働いている庶民の顔なんだろうとおもいます。

言上げしない、できない。にもかかわらず言霊を無意識に信じてる。
ほとんど祈りにちかい。

” 心だに まことあらば いのらずとも 神はまもらん” 菅原道真







Facebookをあけると古代の遺物のほかに絵画がいやっというほど でてくる。 グネグネのゴッホのほかに ピンボケのモネ、べた塗りのゴーガンその他、、、 保存するのはゴッホだけ、古典の巨匠たちもたまに出てきたらほぞんする。 それでも気になるのがあるとついつい見てしまうのが 湿度0...