安全な接続ができなくなっててスローダウン。
削除して再インストール。
それでも画像、動画遅すぎる土曜の夜!
****
光回線がくるまで焦らずまとう。
そんな時はタバコ吸いながら思い出をたどって
妄想を膨らませる。
****
じぶんは自然現象がかなり好きだといった。
100枚の小説”ランズエンド”の原稿を山のパン屋さん、、、
いまは八ヶ岳のオルガン弾き、、、に読んでもらったら
”テーマは何ですか?” ときかれた。
”テーマ?そんなもんない”としどろもどろにこたえた。
一種の娯楽、エンターテイメント。
横浜の凸ママも”深みがない!”と正確に言い当てていた。
****
ストーリーを追っていくとすぐにデッドロックにぶちあたった。
主人公はTVで沖縄のカジキマグロの一本釣り漁師をみて自分も
やってみたいと思ったのだが、ランズエンドの漁師たちは
溶接で飯が食える奴が何で漁師なんかになるんだ?という。
これにまともにこたえられない若い主人公。
経験未熟な飽食の時代の若者の典型。
暗示するだけではあったけど東シナ海で遭遇した低気圧、
台湾坊主のことを書いておいた。
おおいかぶさってくる波、、、小さな船でこれを経験したものならわかるだろうという期待にたよっておしまいにしてる。
主人公が自問自答してたどり着いた結論は
”自分はあの海水の壁にもう一度出会いたい”
それがどういう意味と価値があるのか本人も作者もわからない。
たぶん無意味、無価値な自然としかいいようがないけど
ひとを引きつける。
ストーリーはどんどん横道にそれて人間模様のハッピーエンドでおわる。
あの水の壁の発想は焼津で近海の鰹鮪船に乗ったときの体験がきっかけになっている。
船主(親方)の手前、船頭はしけてるから三宅島の西、銭洲ではなくて御前崎回ったところの金洲でお茶を濁そうとしたのかもしれない。
しかし遠州灘は遠浅で巻波のおきるところ。北斎の神奈川沖の富士のイメージ。
商売(操業)どころか波は逆巻き、微速前進の59tの船首が波に突き刺さるとピタッと船足がとまる。
もう無理ーといって帰りたいけどどうやって向きを変えるんだ!?
波に横っ腹見せたらひっくり返る。
あとは船頭の腕か運しだい。
4~5トンの漁船、ヨットはピンポン玉のように
波にもてあそばれるだろうとは思う。
海は商売、生業、遊び、素人を区別しない。
これをどうやって人に伝えるのか?
言葉で?絵で?画像で?動画で?
それが芸のうちとはいえほとんど絶望的におもえる。
じゃあどうするかというと
相手の妄想に頼るしかないんじゃない?
夢、幻のイルージョン。